由来・歴史
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竹林寺と名付けられた昔の話
清水子育観世音の由来は遠く、平安時代にまでさかのぼります。平安時代の初期大同2年(807年)7月18日に、弘法大師が香取神宮参拝の折り、当地を訪れ、竹林の女竹男竹の竹杖枝で御本尊の子育観世音の小像を彫り、小児の病を加持して後草舎を結んで納められました。
周りが竹に囲まれていたことから竹林寺と名付けられ、その後、天長4年(827年)に火災にかかり、ご本尊は行方不明となって「その御姿は何処へ行ってしまったのか」と案ぜられました。
清水寺の由来とは
仁寿元年(851年)5月18日、慈覚大師が関東に顕密両経を広めるために香取に詣でた折り、夢想に感じて当地の竹林を訪れました。すると突然、境内の竹薮の上に五色の雲がたなびいて光を放ち出しました。慈覚大師が一心にお経を唱えると、竹薮の井戸の中から一人の乙女が姿を現しました。その乙女が筍(たけのこ)に向かって礼拝供養すると、その筍が自然と開いて、その中から観音様が現れたのです。そして大師に向かって告げました。
「私は二十余年の年月を、この筍を宿として雨露をしのいでまいりました。今、ここに来て一心に礼拝供養する乙女は、竜宮竜王の娘です。お産にかかり難儀して、この山中に薬草を求めにきた時に、薬草を授けてあげました。そのおかげで出産は安産となり、その恩義を忘れずにに毎日ここへ来て供養しているのです。法師に頼みがあります。私のために一つの堂宇を建立してください。そうすれば、汝の願いごとである顕密両経をともに守護いたし、一切衆生のためにすべての願いを叶えてあげましょう。そして、童男童女が病気もせずに成長するように祈ってあげましょう。」
このお告げを聞いた大師は、すぐさま香木を選んで十一面観音の尊像を刻み、筍の中から現れた尊像を御腹籠として、その胎中に納めました。そして、お堂を建てて安置したと伝えられます。当地から清水がわき出るので、清水寺(せいすいじ)と称しました。
清水寺の奉賛記録
清水寺の奉賛記録 | |
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仁治元年 (1240年) |
7月、洛東東福寺の円爾の弟子円教が、九尺四面の本堂を建立しました。 後、再び火災にかかりました。 |
永徳2年 (1382年) |
9月、再興の第一代の円全法印が住み、二間四面の本堂を建立しました。 |
応永18年 (1411年) |
6月、居宅を建立しました。 |
天正15年 (1587年) |
11月、本堂居宅を建立しました。 |
寛永5年 (1628年) |
10月、観音宮殿を建立しました。 |
寛文9年 (1669年) |
3月、客殿並び阿弥陀如来の建立開始。 |
延宝5年 (1677年) |
12月、客殿並び阿弥陀如来の建立成就。 |
元禄3年 (1690年) |
7月4日より千日開闢開始 |
元禄4年 (1691年) |
3月、客殿造作開始 |
元禄5年 (1692年) |
8月12日に千日開闢結願 |
元禄7年 (1694年) |
客殿造作成就 |
元禄8年~ (1695年~) |
両大師建立 |
宝永4年 (1707年) |
7月釣鐘鋳立、11月鐘楼堂建立 |
正徳5年 (1715年) |
11月1日客殿葺替開始、同月14日終了 |
享保4年 (1719年) |
地蔵菩薩一躬建立 |
享保9年 (1724年) |
10月、宮殿修覆開始 |
享保10年 (1725年) |
3月、宮殿修覆終了、同年5月大般若経を京都から買い求めました。 |
享保11年 (1726年) |
3月、観音堂建立開始 |
享保12年 (1727年) |
6月、観音堂建立成就 |
明治5年当時の境内 | |
昭和13年 (1938年) |
本堂の屋根替 |
昭和17年 (1942年) |
20年にわたる観音堂改築 |
昭和32年 (1957年) |
10年計画で本堂大改修 |
昭和34年 (1959年) |
庫裡建替 |
昭和49年 (1974年) |
観音堂大改修 |
昭和50年 (1975年) |
御本尊御開帳33年の式年、同年3月16日落慶式 |
お問い合わせ
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TEL 0478-82-5781
FAX 0478-80-7035
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